酔っ払いは自分のことを酔っ払ってるとは言わない?

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続けようと思っても続けられないものと、そうはいっても続けられるものとあって、そういうのってどうやって線引きしてるんでしょうか。

仕事。

毎日行かないとならないから行って、別に続けたいわけでもないけど続けているのは、やはり根本的にそれが必要だからであったり、それまでの積み重ねであったり、中途半端な責任感であったり、格好付けであったり、理性であったり、元々は好きで始めたことだったり。

時間が経つにつれて色々な理由となるものがくっついていて、何が何だかわかんなくなっちゃうんですが、結局、しがらみが多ければ多いほどその時の気分や気持ちや希望に関わらず体は動くんですね。

人は気分や感情の生物なんですが、体を強制的に意識関係なく動かすと後から気分や感情がついてきて、過去の記憶や習慣からそれなりに決まった範囲の作業や思考はできるもんです。

多重人格って言葉がありますが、多かれ少なかれ程度の違いはあれど、二律背反どころか四面楚歌みたいな状態でそのうちの1つの人格が主導して活動を行うことは多いと思ってます。

それを意識してるかどうかは別ですが。

私は多重人格者です。

と、言い切れる人はそう多くないと思いますが、よくいう「酔っ払いは自分のことを酔っ払いとは言わない、認めない」という話、まあまあ当たってます。

でも、その逆に「自分は酔っ払ってる」と言える人は実は酔っ払ってない、ということもまずないと思います。

結局、「酔うこと」自体に否定的あるいは非道徳的な観念があるから、人によってはそれを受け入れられずに「酔ってない」と言い張る、のかもしれません。

だから酔っ払いが酔っ払ってないということを逆説的に取って自分は酔ってるという人が酔っ払ってない、とは言えないんですね。

さて、仕事しますか。

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